セレモニーディレクター 池田 太郎

「母からの手紙」

信州は松本、雄大な日本アルプスの山々に囲まれた、ささやかな盆地が私の生まれ故郷です。葬儀会館などなかった小さな街で「地域のために」と当時はまだ珍しかった大きな葬儀会館を建て、葬祭業をはじめたのが祖父。今も細々と続く小さな呉服屋の三代目でした。家業である葬儀業について、恥ずかしながら私は何も知りませんでした。葬祭業者がまだ日䕃者だった時代、祖父や父が一体どんな思いで、必死になってやってきた仕事だったのか。祖父や父が家族の前で決して仕事の話をしなかったのは、苦労をかけまいとする親心からだったのかもしれません。四人兄弟の長男として生まれ、周囲からも家業を継ぐものと期待されて育った私は、「よく分からないけれど、いずれは家業を継ぐのだろうな」と思いながら二十歳を過ぎました。故郷にいると何となく周囲の期待が煩わしかったのでしょう。中学を卒業すると高校から故郷を離れ、目標もなく大学へ入り、展望もなく就職先を決めました。そんな私の生き方を変えたのは、大好きだった母の死でした。優しかった母。中学二年生の夏、高熱で入院した時のこと。「明日は来ないからね」と言いながら退院まで毎日車で一時間かけて隣町の病院まで通ってくれました。冗談が大好きで、「たろー、肩揉んでよ」と言って断られると「墓に布団は着せられぬ。孝行したいときに親は無し、だよ。」と嘘泣きをしている姿に、私は思わず笑ってしまったものでした。病に倒れてから一年も経たないうちにあっけなく旅立ってしまった母。私は二十四歳で、半年前に父になったばかりでした。末の妹はまだ十四歳。母にとってどんなに心残りな最期だったことでしょう。葬儀が終わって一週間ほど経ったある日、母が最期に私たち兄弟一人ひとりに遺した手紙を父が渡してくれました。「肩の力を抜いて頑張りすぎないようにね 自慢の息子だったよ!!ありがとう。」私にとって葬儀の仕事は、単なる家業であるということ以上に、特別な意義を持っています。大切な葬儀を通じ「ありがとう」の想いを大切な方に伝えていただくことは、私自身の母への想いも重ねているのかもしれません。私は、ご遺族様の悲しみに寄り添い、大切な方との最期のお別れを、真心を持ってお手伝いします。母への返信として・・・