セレモニーディレクター 三喜田 英嗣

「支え守り導く」

仕事が終わり家路につくのは、終電間近の毎日。家族と過ごす時間も省みず職場と自宅の往復を繰り返し、気が付けば幼かった娘も高校生になっていました。家族と過ごす掛替えの無い時間と引き換えに、手にしたものは何だったのだろうと思いを巡らす事が多くなりました。仕事そのものよりも信頼して心を委ねられる上司のために費やしてきた時間は、突然の上司の病いに依る退職により意味を成さなくなりました。羅針盤を失った小舟の様に彷徨い、迷走する日々の中、それでも家族のためにと意味の無くなった職場へ身体を運ぶ毎日。人生の後半生を考えたときに「誰かの為に」と生きてきた自分に気付きました。尊敬する上司のため、養うべき家族のためにと懸命に働いてきた日々を想ったときに、そこには「充実感」がありました。誰かを応援する。誰かの為に身を粉にする喜びこそ自分の輝く道と思える様になりました。それからは困難な状況の中で、もがきながらも懸命に耐え忍ぶ人達を「支え守る」様な仕事に残りの人生を費やしたいと、そんな仕事を探していました。そんな折に飛び込んできた上司の訃報。「必ず職場に復帰する」と強い思いで病に向き合っていた上司の死は、大きな衝撃と共に、新たに目指した「道」に大きな意味をもたらしてくれました。自らの意思で密葬を執り行った上司の通夜に、懇願する形で弔問に伺ったときでした。憔悴する遺族に進むべき道を示しながらも、大きく支える人たちを知りました。「葬儀社」の担当者の方でした。家族の中心を失い経済的にも精神的にも疲弊しているご家族を、葬儀を通じて培った経験や知識を駆使し、支え守り導く姿に自らの心が反応しました。その後に求める職業は葬儀社と定め、幾つかの面接を受け内定も何社か頂けました。その中で出会った都島葬祭の専務は、心の底からご遺族様の「倖せ」を願い「笑顔にする」という強い使命感を持った方でした。最近、妻から「今のパパは尊敬できる」と娘が言っていたと聞きました。自分では何が変わったかは分かりませんが、嬉しく感じたものです。今、私は都島葬祭で働いています。誰かを「支え守り導く」事に使命を感じて。